
NAGASAKI & GOTO · 潜伏キリシタン
信仰と歴史が息づく 長崎・五島列島
長崎と五島列島は、16世紀にキリスト教が伝えられて以来、信仰と共に歩んできた地です。禁教期には多くの信徒が「潜伏キリシタン」として静かに祈りを守り続け、その証しは今も地域の文化と風景に息づいています。五島列島だけでも50を超える教会が点在し、その多くが世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に含まれています。青い海と緑豊かな自然に囲まれた島々に建つ教会群は、信仰の歩みを物語る場であり、訪れる人々の心に深い感銘を与えます。
歴史と信仰
01伝来と受容キリスト教がもたらされ、信仰が根付いた時代
(16世紀半ば〜16世紀末)
02禁教と潜伏厳しい迫害の中で、祈りを守り続けた時代
(17世紀初頭〜19世紀半ば)
03信仰再起潜伏の時代を終え、祈りが再び公に捧げられた時代
(19世紀後半〜20世紀)
崩れと殉教
CHRONOLOGY
代表的なキリスト教史 概略
- 1549フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ上陸。
- 1550フランシスコ・ザビエルが平戸を訪問。
- 1582少年遣欧使節をローマへ派遣。本能寺の変にて織田信長没。
- 1587豊臣秀吉がバテレン追放令を出す。
- 1597西坂で26聖人殉教(1597/2/5)
- 1614徳川家康が禁教令を発布、宣教師国外追放へ。
- 1619長崎の教会が全て破壊される。
- 1622元和の大殉教、西坂で宣教師・信徒55人が殉教。
- 1629長崎で「絵踏み」開始。
- 1644最後の潜伏司祭 小西マンショ殉教。
- 1657大村藩郡村でキリシタン逮捕(郡崩れ)
- 1790浦上一番崩れ
- 1797大村藩外海地方の潜伏キリシタン五島へ移住。
- 1804天草崩れ
- 1856浦上三番崩れ
- 1859日米修好通商条約 締結
- 1863プチジャン神父 長崎へ。
- 1865大浦天主堂献堂式と信徒発見
- 1867浦上四番崩れ 始まる
- 1868五島のキリシタン弾圧 始まる
- 1889大日本帝国憲法で信教の自由が保障される。
出典と参考:『長崎游学2 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド 長崎文献社編 カトリック長崎大司教区監修』、長崎文献社

二十六聖人殉教
1597年、豊臣秀吉の命令によって、長崎・西坂の丘で26人のカトリック信者が処刑されました。日本で、キリスト教徒であることを理由に最高権力者の指令にて処刑が行われたのは、初めてのことでした。後に聖人に列せられたため「日本二十六聖人」と呼ばれています。
最年少は12歳のルドビコ茨木でした。責任者であった長崎奉行の寺沢半三郎は、たった12歳の彼を哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」と持ちかけたが、ルドビコは「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできない」と言い、毅然として寺沢の申し出を断ったといわれています。
長崎の教会と巡礼地
MAP
長崎市内の主な教会・殉教地
大浦天主堂や西坂の殉教地など、長崎市内に点在する祈りの場所をご紹介します。ピンをクリックすると地図が開きます。
五島列島の教会と巡礼地
五島列島には約50の教会が点在し、その多くは小さな漁村や島の集落に寄り添うように建てられています。禁教の時代を耐え抜いた信徒たちが、信仰の自由を得た後に祈りを込めて築いた教会は、それぞれに異なる物語を伝えています。