隠された信仰の道をたどる:長崎・五島列島の巡礼と歴史探訪
- Amitai Travel
- 8月4日
- 読了時間: 3分
日本におけるキリスト教と言うと、「フランシスコ・ザビエル」や「キリシタン大名」、「踏み絵」など、学校の授業で教わった歴史や単語、迫害の歴史を断片的に思い出すことがほとんどではないでしょうか。
現代を生きる多くの人々にとって、それらは「知識」の一つであり、この先の人生においてそれらを拡充することも、活用することも限りなくゼロに近いことでしょう。今でこそ憲法で信教の自由が明文化され、日本ではどんな宗教の信徒であろうと差別や迫害を受けることはありません。
しかし、もし現代に続く歴史や世界情勢が少しでも違っていれば、今もなお信教の自由が認められていなかったかもしれません。長崎や五島列島でのキリシタン迫害の歴史を知れば知るほどその残酷さに恐々とし、また同時に信仰の力に心が奮え、勇気をいただくのです。
長崎と五島列島には、静かに燃え続けた信仰の物語があります。
潮風に包まれたこれらの地は、250年以上にわたって迫害を受けながらも、信仰を守り抜いた「潜伏キリシタン」たちの地です。
1549年、フランシスコ・ザビエルによってキリスト教が日本に伝えられると、九州を中心に急速に広まりました。長崎は宣教の中心地となり、多くの人々が洗礼を受け、信徒だけでなくキリシタン大名も多く誕生しました。
しかし1614年、徳川幕府はキリスト教を禁止。宣教師を追放し、日本人信徒たちには拷問や処刑が待ち受けていました。1597年、長崎の西坂の丘で処刑された「日本二十六聖人殉教者」は、その信仰の象徴です。

追われた信者たちは、五島列島などの僻地に移り住み、仏教徒や神道信者を装いながらも、口伝で祈り「オラショ」を守り、子どもに洗礼を授け続けました。

禁教令下では、各所で「崩れ」と呼ばれるキリシタン検挙事件が勃発したり、捕えられ拷問を受けたり、新刀の試し斬りのために斬殺されたりと残酷な悲劇が繰り返されました。
上記のキリシタン洞窟は、現在でも船でしか訪れることができません。五島崩れの迫害を避けた潜伏キリシタンたちが、この小さな洞窟に隠れ住んでいました。しかし、たまたま沖を通りかかった船に焚き火の煙を発見され、捕えられてしまったと言われています。
明治時代、信教の自由が認められると、彼らは公に信仰を表し始め、大浦天主堂(長崎)や頭ヶ島教会(五島)など、数々の美しい教会を建立しました。これらは今、世界遺産にも登録されています。
この地を巡ることは、単なる観光ではありません。海辺の教会でのミサ、地元信徒の語る家族の物語、床下に隠された聖具…どれもが心に深く響く体験です。
弾圧の中でも消えなかった「信仰の火」を感じる巡礼の旅。あなたの心にも、新たな光が灯るかもしれません。
この地の魅力は信仰だけではありません。ツルツルとした食感の五島うどんや、出汁に使われる飛魚(あご)、海から届く新鮮な牡蠣など、地元グルメも豊富。
東シナ海に沈む夕日は、静かに心を癒し、旅の締めくくりにふさわしい景色を見せてくれます。
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